家族の病①乳がん25年後の骨転移

しばらくの間、BLOGの更新をお休みしていました。
母の乳がんが骨転移していたことがわかり、一時期命に関わる状況にあったため新規の制作受付も休止していました。

現在は病状も落ち着いてきておりまして、私自身もようやく自分の心に向き合う時間がとれています。

私は人生に起きるあらゆる障害は、私たちがそこから何かを「学ぶため」に起きる、と考えています。
もちろん、それは病にもあてはまります。

25年目の骨転移。家族がもう一度向き合う準備ができた時。

この1か月の間、私はずっと「この状況はなぜ、今もう一度起きたのだろう?」と繰り返し自分自身に尋ねていました。

母が最初に癌になったのは、私が小学5年生。11歳の時です。
それから25年が経ち、家族のだれもが母の癌は完治したものと思い込んでいました。

25年前、母に初めて癌が見つかった時。
父と母の夫婦の問題、母と祖母の嫁姑問題、そして私自身と父の問題など、家族が‘それまで見ないようにしてきた問題’に向き合わざるをえない状況を経験し、私たちはそれらを25年前にすっかり乗り越えたと思っていました。

…いいえ、もしかしたら。
私たちはもうすっかり乗り越えたという事にしただけだったのかもしれません。
まだそこに横たわっていた、根深い家族のひずみ。
それに今、私たちがもう一度向き合う準備ができたのかもしれません。

母に繰り返し行っているヒーリングのアファメーションも最後にシェアしておこうと思います。
どなたか今、癌と戦っていらっしゃる方のお役に立てればうれしいです!

人生に起こる’悪い出来事’には、必ずその先に大きな目的が待っている。

2011年からヒーリングを学び、自分やクライアントにヒーリングをしてきて、気づいたことがあります。

それは、人生に起こる一見’悪い出来事’にも、必ずその先に大きな目的や使命のようなものが待っているという事です。

そう信じている私も、今回ばかりはネガティブな想像にふけって泣いてばかりいました。
骨転移というシビアな状況に、ポジティブな側面を見出だせたのは、つい最近の事です。

誰の人生にも、どうしても避けられない’大きな転機’があります。
家族の病・命の危機という転機を通じて、私は何に気づこうとしているのか?その先にあるものは何なのか?
今の気持ちを綴ります。

11歳、あの時私がやり残したもの「私にはお母さんを助ける力がある」

25年前。まだ11歳だった私は、母が乳がんを患っていることは知らされてはいたものの、何もできない小さな子供でした。

癌を患った時の母の年齢に自分が近づくにつれて、当時の母の恐怖や苦しみを想像することが増えました。
まだ小さな娘たちを置いて死ぬかもしれないと思った時の、母の気持ちを想うと胸が痛みます。

そのたびに、「あの当時私は何もできなかったな…」という小さな後悔がずっと私の中にありました。
その後悔を、もしかしたら私は今取り返したいのかななんて思う時があります。

病院に洗濯物を持って行ったり、電話で励ましたり、ヒーリングしたり、父のご飯を作ったり、実家に母が帰ってきても住みやすいようにインテリアを変えたり…
(当たり前ですが)36歳の今なら、なんでもできるのです。

医者ではない私に、病気を治す力はありませんが、心を励まし、日々を笑って過ごせるよう患者を支える力が家族にはあります。

闘病はとても孤独な戦いです。
その戦いを援護する術が今の私にあり、そうしたいし、そうできている事に、ささやかな幸せを感じています。

家族それぞれの想いと、体験をもう一度語り合う。

25年前と同じ状況に再び置かれた私たち家族は、当時の記憶を折に触れて思い出すようになりました。

自分自身忘れていた記憶もあったり、家族と当時の話をしながら「そんな気持ちでいたの?」と初めて聞く家族の心境に驚かされたりと。
古地図を広げなおし、懐かしい家族の旅をもう一度たどるような日々を過ごしています。

25年前に母が手術をした際、まだ幼かった私は祖父と実家で手術の成功を祈っていました。

手術中に大量出血をした母が危険な状況だと連絡があり、病院に行きたいと懇願しましたが、厳しい祖父は何を言っても連れて行ってくれませんでした。

この時の悔しさと不安と恐怖は、今回も時々私の中に甦ってきました。子供だからってバカにして!とものすごく祖父を恨んだのも覚えています。

なんとなく…そのころから私は、‘想うことで相手の力になれる’と確信していたような、今のヒーリングの道の入り口のようなものを掴みかけていたように思います。

最近聞いた当時の話では、姉は手術の日に祖母と病院に行っており、一命をとりとめた母の切除された病巣を見たそうです。
それもまた、中学生だった姉にとってトラウマになるような体験だったでしょう。

40代前半だった父は海外出張も多く、仕事と家事と娘たちと大変な日々を過ごしていたはずです。
育児に関してはほぼ母に任せっきりだった父が、急に私たち姉妹と距離が近くなり、お互いとまどっていたような記憶があります。

同じ出来事でも、家族それぞれが様々な視点で違う時を過ごしていました。
不安定な精神状態の中、家族ですれ違うことも多く、その誤解を解くほどの時間的な余裕も当時はありませんでした。

1度目の母の病は、強制的に私たち家族の関係を大きく変えました。運命に流されるようにして、なんとか乗り越え25年たった今だからこそ、私たちは家族の絆をもう一度、理想の形に結び直そうととしているのかもしれません。

家族のだれもが。
2回目の母の病で、あの時できなかった学びをやり尽くすという時間の中にいるのだと思っています

癌と戦う人のためのアファメーション「魔法の呪文」

母の癌の転移は、私たち家族にとって魂レベルの成長を促すもの…なのかもしれません。
でも成長のために、こんなに大変な体験を2度もしなきゃいけないの?ひどい!とも思います。(私も人間なのでやっぱり辛いものは辛いです)

この状況を少しでも楽に早く穏やかに乗り越えられるよう、繰り返し自分にも母にもヒーリングをしています。

その時に使ったアファメーション(シータヒーリング用語ではダウンロード)をここに残しておきます。

声に出して読んでも良し、心の中で唱えても良し、なポジティブになれる魔法の言葉です。
母と同じように癌と闘病中の方、看護をしている方はぜひ使ってみてください。

・私の体が回復するとはどのような感じがするか知っています。
・癌が治癒するとはどのような感じか知っています。
・私の主治医と彼らが行う医療を私は信頼しています。
・私に処方される薬の効果が最大限に発揮されるとはどのような感じか知っています。
・私の選んだ病院は私の治療にぴったりです。
・必要以上の副作用に苦しむことなく、癌を治療することが可能です。
・健康な細胞を守りながら、癌細胞を無害なものに変える方法を知っています。
・抗がん剤をやさしく楽に体に受け入れる方法を知っています。
・未来に希望をもつとはどのような感じか知っています。
・病が治っても家族の愛を感じることできます。
・病が完全に治癒しても、私はやさしくされます。

※アファメーションは治療を目的とするものではありません。病と闘う人を前向きな気持ちにするために使うものです。

◼️このブログの続きを更新しました!
家族の病②すべての癌患者たちは病に苦しむ人を助けるヒーロー&ヒロインだ!

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masami

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