『癌になったけど、今がしあわせ。』

昨年、私の母の癌が骨転移した話をブログに書きました。

その後いろいろな方に励ましていただいたり、心を寄せていただいたりと、あたたかなお気持ちをいただきました。
みなさまありがとうございました。

その後の話を書いていないので、今日はその後の話を書いてみようと思います。

以前のブログはこちらです。


最近の母、元気です

乳がんが骨転移し、同時に心臓の血管が裂ける大動脈解離も発症した母ですが、退院時30キロ台だった体重もほぼもとに戻り、リハビリを頑張っていて、かなり良い状態です。

4月の通院では、昨年秋に大動脈解離で裂けた血管はキレイにくっついており、癌の方も選択した抗がん剤がよく効いて、小さくなっているとの事でした。


骨転移の影響で下肢に麻痺があるものの、医師からは『あと何年くらい生きたい?』と聞かれ、
元気に『10年くらいは生きたいわね』と答えるくらい、気力も戻ってきていて、娘としてはうれしい限りです。

 

実家の階段を自力で降りるのが難しかったのですが、リハビリの成果が出て、先日約8か月ぶりに庭に出た時の母を描きました。
父が育てたバラを近くで見られて嬉しそうでした。


庭に出てさっそく草むしりをしはじめるところが、うちの母だなぁと思いました。元気でよろしい。

以前から、カラーリングをやめてグレイヘアにしたいと言っていたものの、なかなかタイミングがつかめなかった母ですが、入院をきっかけにグレイヘアに。
色ものの服も何色でも合うし、グレイヘアだと顔色も明るく見えるような気がします。

 

1月のブログにも書きましたが、抗がん剤の治療をプッシュして本当に良かった~!!
と、今ようやくホッとできています。

母本人はかなり嫌がっていたので、私の気持ちを押し付けてしまうのでは…と、話す前は夜眠れないくらい悩みましたが、伝えずに後悔しなくて良かったです。あの時の私、グッジョブ!

 

予想はしていましたが、医療の進歩が本当に素晴らしくて。
母があんなに嫌がっていた抗がん剤の副作用も、体調に大きく変化がでるような事はなく、
(白血球の値が下がるなど多少はありました)

痛みを抑えるための医療麻薬も、驚くほどよく効きます。
こうして治療する前は、医療麻薬を飲んだらラリってしまうとか、モルヒネ打ったら廃人になるとか、いらぬ心配を沢山していました・笑
私の医療に対するイメージ、相当古かったなぁ…と今になると笑ってしまいます。

長年薬や治療を研究し続けてくれた方たちに、感謝の気持ちです。

父と母のパートナーシップの旅(巻き込まれた娘)

 

こうして命の危機から脱して、昨年から続いた私たち家族の体験を遠くから眺めてみると。
乳がんの骨転移を通じ、父と母のパートナーシップがまた大きく変化したのを感じています。

父と母が、もう一段階仲良くなったように思えるんです。

 

母は、幼少期に親からきちんと愛されなかった人で、娘の私から見ても、こじれているところがあります。

すごく愛されたい小さな女の子のみたいなところがあるのに、口では『別に愛なんて欲しくない!』と言ってしまうような、愛しにくい人です。

 

1回目に癌になった時。
母は初めて『お父さんと結婚して良かった』と言っていました。
それまでかなり父の文句を聞かされていたので、おそらくこの結婚は失敗だったと思っていたのではないでしょうか。

子供の頃の私は、「愛し合っていないお父さんとお母さんのもとに生まれた私はなんて不幸なんだ!」
と思っていたのですが、あんなに一人の人について文句を言えるなんて、お母さんはお父さんが大好きに違いない!と今は思います^^
関心がなかったら不満もないだろうし…子供には難しい夫婦愛でした。

 

体が弱って初めて、父を素直に頼ることができた母でしたが、その後、身体が回復するにつれて、またこじれを繰り返し、父の定年後や私を含めた子供たちが自立し、家族のバランスが変わった後も、「この人たち大丈夫かな…」と娘が心配になってしまうような2人でした。

 

ですが、この2回目の闘病生活で父と母の絆がまたしっかりと結ばれたように見えます。
結局のところ、娘が心配してもしなくても、父と母のパートナーシップは近づいたり離れたりを繰り返しながらも、しっかりと結びなおされていったのでしょう。つくづく、夫婦って不思議で面白いものです。

娘としては…よかったね。めちゃくちゃ心配したけど、なんだコノヤロー!バカヤロー!みたいな気持ちです^^生きててよかった。

 

命を懸けて、変えたいことがある。

私が習得しているシータヒーリングで、病になったクライアントを癒す時。
‘病になったことで、得るものがあったかどうか’について、深く話を聞いていきます。

なぜかと言うと。
私たちが人生を大きく変えたいと願う人にとって、病は時に役立つものだからです。

例えば家族の中で、無関心な人の関心を自分に向けたいとき。
家事や仕事、収入や男女の役割などを含めた、パワーバランスを変えたいとき。
病になることで、やや強引に人間関係や環境を変えることができます。

特に、母が患っている乳がんに関しては、パートナーとの関係や女性としての自分についてがテーマとなっています。

もちろん本人は無意識ですし、まさか自分がそのために癌になったと認めることは難しいのですが、命を懸けてまで変えたい何かがそこにはあるのです。

 

一番よいのは、病気を利用しなくても相手に「こうしてほしい」と素直に気持ちを伝える事ですが、
幼少期に家族とのコミュニケーションを習得できなかった母には、難しかったのでしょう。

その母が生涯をかけて、一番ほしかったものは、‘家族から本当に深く愛される事’だったのかな、なんて思っています。

 

私が『抗がん剤治療をしてほしい』と泣きながら頼んだ時から、母の回復はめざましかったです。

『私たち家族には、あなたが必要なんだ』というストレートな想いが、母の堅い心の扉をこじ開けたのかもしれません。
泣き落としという、ややずるい手を使ってしまいましたが、結果がよければすべて良し!

 

最近は、『みんなから愛情をもらって幸せよ』とよく言っています。
2回の闘病生活を経て、ようやく家族の愛を受け取れるようになった母のこの先の毎日が、穏やかで幸せなものだといいなと願っています。

 

 

母の骨転移が分かってから、大動脈解離が起きてから。
私はずっと家族の中で「大丈夫。お母さんは死なないと思う。」と言い続けてきました。

それはたぶん…数年前に学んだシータヒーリングの『病気と障害』のおかげだと思うのです。
2週間もかけて、さまざまな病について学び、それぞれの病に対する恐怖心やもう治すことができないという考えをコツコツと変えてきました。
ちいさな私の学びが、こうして成果を出してよかったなぁと思う今日この頃です。

 

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浦和駅周辺のレンタルスペースまたは、ZOOM等でお話しています。





 

 

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