私の卵巣嚢腫の事②ピルの副作用?うつ症状が出始め漢方薬の治療へ

前回のブログから、私が罹った病気‘卵巣嚢腫’について
ヒーリング体験を交えてお話ししています。

前回のブログはこちらから読めます。

今日はこの病気がはじまった頃の私がどんな状況にあったか
書いておきたいと思います。
これがまさしく、シータヒーリングでいうところの「病気が語ること」だと私は思うのです。

納得できないまま、治療としてピルを服用し始める

私の卵巣の大きさはまだ手術をするほど大きくなかったので、
医師からは低用量ピルを服用し、子宮内膜を厚くしない治療を勧められました。

ピルについては、副作用が気になったので医師に
「身体に悪影響があるということはないのでしょうか?」と質問しましたが、
「悪影響のある薬だったら勧めませんよ」と言われ、

さらに「お子さんを生む予定はあるんですか?」と聞かれて、
全く予定のなかった私はピルを飲まない理由はないように思えてきました。

今思えば、不安な気持ちがあるのなら病院を変えてでも、
納得できる治療を提案してくれる病院を探せば良かったのですが
この時はもう一度あの痛みが来たら耐えられそうにないと思い、
納得できないままピルを服用しはじめました。

耐え難い生理痛はおさまりましたが、生理の量をコントロールしているだけで
病気の原因にはなにも対処できていない事に気づいていました。
この先ずっとビルを飲むのかと思うと、不安な気持ちが渦巻いてきます。

飲み始めて3か月目までは、まだ心に大きな変化はありませんでした。

 

卵巣嚢腫が見つかったときの私の恋愛事情

病気になる少し前、私は当時付き合っていた彼と別れました。
円満な別れ方ではなく、表面上変わりなく毎日を過ごしていましたが、
内心深く落ち込み傷付いていました。

その時、私が何に一番落ち込んだかというと
「この年で彼氏と別れてしまったら、きっともう子供は産めない。
私の人生には母親になるというプログラムがないんだ。という事でした。

正直にいうと、別れた事そのもののショックより
「子供を産める可能性がなくなった」という悲しみが強かったように思います。

女性にとって、子供を産めないという悲しみはとてもデリケートで奥の深い問題です。
家族や先祖からのプレッシャーも、もちろんありますが、
私はもっと本能的な、生物としての存在価値感にまで関わる悲しみだと感じました。

今の私からしたら、たった34歳で女性として終わったと思うなんて、
この考えは完全に間違いだったと思うのですが、
失恋のショックと、子供が産める年齢のリミットに年々近づいているという焦りで
私はとても傷つきやすくなっていたのです。

私がこう感じていたことが、病気の原因であったかどうかは分かりません。
なぜ病気になったのかを完璧に知る方法はないからです。
ただ、当時の私が自分の身体が老いていくという事に過剰に恐怖心を抱いていたのは確かです。

ピルを飲み始めると「女として終わった」という悲しみが沸いてきた

私は20代の頃は結婚願望が強く、
当たり前のように自分は30代になる前に子供を生んで母になるだろうと思っていました。

20代の終わりに、仕事のストレスで会社を辞めて絵の道に戻ってきて、
それからは自分の夢を追いかけることに必死で、
母親になりたかった私の声は聞こえなくなっていました。

ところが、30代になったとたんに、あちこちから「卵子が老化して産めなくなる」
「後で後悔しないように35歳までに産んでおけ。」「働きながら産んで育てろ。」
とメディアがものすごく煽ってくるのです。

これには本当に翻弄されてしまいました。

普段ならあまりメディアの情報は気にしない方なのですが、
(引っ越してからTVを持っていないくらいです)
老いる事への恐怖心も手伝って、
色んな情報を積極的に取り込んでしまいました。

だからこそ、彼氏と別れただけでまだ30代なのに
「女として終わった」と思い込んでしまったのです。

「女として終わった」という気持ちのまま、
ピルを服用して生理を止めると、
本当に自分は終わったような気持ちになり、その頃はよく泣いていました。

ピルの影響でホルモンバランスが変化していたので、もしかしたら
身体が本当に「終わったー!」と感じていたのかもしれませんね。

気になる新たな男性の登場に、新たな恋を始める?かさらに悩む…

ピルを服用しているうちに、気になる男性が現れました。
ですが、身体は完全に次の恋愛拒否をしていました。
もう人を好きになって傷付きたくなかったからです。

自然に沸いてくる好きな気持ちをぐっと押さえ、なんとも思っていないふりをしていました。
時々、隠そうとするあまりひどく冷たい態度を取ってしまって、
さらに自己嫌悪で落ち込むこともありました。

「私はもう女として終わってるんだ」

こう思い込む事で、一生懸命に次の恋愛を遠ざけようとしていたのですが、
自分の中に女性でありたい自分と、もう女性でいたくない、二人の自分がいました。

異性を好きになるのって、半分以上、子宮の力なんだと思うんです。
本能的に恋に落ちるというか。
ここでも、また身体の状況と心の状態がリンクしていました。

ピルの副作用?喜びや幸せも全部感じなくなった

ピルを毎月1シート2シート3シート…と服用を続けていくうちに、
自分が無気力になっている事に私は気づいていませんでした。

今まで楽しかった事も、一切やりたくなくなり、
仲が良かった友達からのLINEに返信することや、SNSでのコミュニケーションが億劫になりました。
Facebookのアカウントを停止してしまったのもこの頃です。

ちなみにその頃に書いたfacebookの休み方はこちらです↓(今は復活しています)

自分の世界から何もかもが、急に色を失ったように見えました。
散歩して綺麗な花が咲いているのを見ても、何も感じられなくなり、
生きている喜びが全くなくなったように思えました。

恋愛だけを遠ざけようとしていたのに、
すべての幸せや喜びを、私は締め出してしまっていたのです。

脳は特定の感情だけを選んで押し込める、なんて
器用なことはできないのかもしれません。

そもそも、私が幸せを感じるものは、女性であることを土台に形作られているものでもあったのです。
メイクやファッションなどの楽しみや好きなもの、美的感性や創作意欲も、
私が女性であることと密接に関わっていました。

ピンチ!創作の要・第三の目が使えなくなった

自分の毎日に、どんどん感情が欠落していきました。
何より、1番私を困らせたのは直感力が使えなくなってしまった事です。

第3の目がぴったりと閉じてしまっていて、
何も見えない・聞こえない・感じない状態は私にとって苦しい事でした。
(私の創作活動の源は、この第三の目なのです。)

この異変がピルの副作用によるものだと気づかせてくれたのは、
私のヒーリングの先生でした。

ピルの副作用にはこんな気持ちになることは書いてありませんでしたから、
自分では薬の影響だとは全く思っていませんでした。

当時はセッションに行くことすらしんどくなってしまい、
予約しても「やっぱりキャンセルします」と言ってしまったりして、
いつもの私の様子をよく知っている先生だったからこそ、
私の異変にいち早く気付いてくれました。

 

思い切ってピルを飲むのを止めてみたら…

副作用を疑い試しにピルをやめると、日常に少しずつ彩りが戻ってきました。

ピルを辞めた初めての満月の夜、月明かりの下を歩いていたら、
おでこがむずむずとしてきて、第3の目がぱっくりと開いたような気がしました。

この後は創作中もリーディングでも、以前よりかなりハッキリと視えるようになりました。
開きのぱっくり具合が違うというか、第3の目そのものがすごくクリアな状態が続いています。

その後漢方薬での治療に完全に切り替え、冷えを中心に治療していきました。
そして、1年半後。婦人科の検査で卵巣嚢腫は消えてなくなっていました。

 

ピルについては、今もいろんな意見を目にしますし、
婦人科の医師で推奨している方も多いので、症状には個人差があると思います。

大切なことは、自分の体の変化にきちんと耳を傾けること。
そして不安に思う症状があれば、何度でも話を聞ける医師を見つけることです。

 

後日更新のブログに続きます。
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